母の手紙
「顧客満足」、「顧客第一主義」、言い古された言葉ですが、こうしたスローガンを掲げてはいても、社員一人ひとりの行動を見ると首をかしげたくなるような企業が多いのも事実です。真の顧客満足とは何か、母の手紙が教えてくれます。
寝苦しい夜だった。明け方、ようやく寝ついたと思ったら、僕を罵る元社員の声で目が覚めた。
このところ毎晩のように昔の夢を見る。決まって、誰かに怒鳴られている夢だ。当時の僕には、なぜ、自分が怒鳴られているのかさえ、理解できなかった。だから気にもとめずにいられたが、その声が今頃になって僕を苦しめる。
歯を磨き、コーヒーをいれると、今は亡き母の手紙に手が伸びる。
五郎、元気にしていますか。
相変わらず電話がつながらないので心配です。
3食ちゃんと食べていますか。
なかでも朝ご飯が一番大切です。コーヒーだけですませたりしてはいけませんよ。
やっぱり、母さんは、何もかもお見通しだ。・・・そうだ、昨日の晩飯の残りがあるはずだ。冷蔵庫から肉じゃがの残り物を取りだし、電子レンジに放り込む。
母の料理が恋しくなったわけではないが、最近、自炊をはじめた。時折、どういうわけかサンマが燃えだし、炭になってしまったりするのだが。
まあ、僕も母のように料理をすれば、母さんが僕に言いたかったことを、もっと実感できると思ったわけだ。そんな動機、おまえには殊勝すぎる。金欠病にでもかかったんじゃないかって?・・・それもあるかな。
第2話 顧客満足
商売というものは、あまねくお客様の顔を見ることから始まるものです。でも、それは、お客様の顔色を窺えということではありません。
「五郎にわかるかしらね」と言ってクスッと笑う母の顔が目に浮かぶ。「それぐらいわかっているさ」と言いたいところだが、実際のところ僕にはよくわからない。
お客様に喜んで頂くということは大変なことです。
早起きをして、自慢の肉じゃがにひと工夫しておくと、いつものように箸でつまみ、一口頬張ったお客様は、幸せそうな笑顔で「美味しいね」と言ってくれます。
でも、もう一度、同じ肉じゃがを食べた時には「美味しいね」とは言ってくれても、最初の時のような笑顔は見せてもらえません。
そうか、母さんは、お客さんに喜んでもらえたかどうかを「言葉」ではなく、「笑顔」で判断していたのか。確かに、笑顔は言葉のように嘘はつかないし、よりハードルの高い判断基準だ。
最初のうちは、作り方を間違えたのかなって思ったけれど、そうじゃなかったの。
そのお客さんにとって二度目の肉じゃがは、確かに美味しいけれど、驚きも感動も無かったってことなのね。
だから、そのお客様の笑顔を、もう一度見るためには、また工夫して、もっと美味しい肉じゃがを作らなければいけないと気づいたの。
だから、母さんは朝から晩まで、いや、店が休みの日まで、料理を作っていたのか。そういえば、一週間続けて肉じゃがを食べさせられたこともあったな。
ええと、母さんが言いたいことは・・・。ちくしょう。こんなマズイ肉じゃがしか作れないようじゃ、わからないってことか。と呟いて、ジャガイモを口の中に放り込む。
そうか。お客さまの期待を上回るサービスを提供することが、お客さまの感動を呼ぶ。でも、一度、感動したお客さまは前回を上回るサービスを期待するから、もう一度、感動してもらうためには、一層の努力が必要なんだ。
そういえば、母さんは、年に2、3回は漬け物を作りすぎたって、近所に配り歩いていたな。それも、わたしって本当にドジだからって、謝りながら。
僕が書いたソフトウェアを、心の底から喜んでくれたお客様がいただろうか。
料理を作る人、自動車を売る人、観光地でお客様の案内をする人、お仕事によってお客様に喜んで頂く方法は異なるでしょう。でも、いつも「お客様の笑顔が見たい」と切に願いながら仕事を続ければ、その方法は自然とわかってくるはずです。
確かに、東京に出てきた頃は、「お客様の笑顔が見たい」と思ったこともあった。しかし、当時は、仕事は掃いて捨てるほどあり、片手間で桁外れのお金を貰える。そんな時代だった。それが、僕を狂わせた。今や、IT技術者であふれ、システム・エンジニアの失業なんて巷にあふれている。なんとか食いつなげているだけ、僕は幸運なんだ。
○○の神様って呼ばれている人は、皆そういう人だと思います。でも、その真似をする人は、表面の技術だけ学んで、根っ子にある「心」を学ばないから神様にはなれないのです。
ずっと、自分の不運を嘆いて生きてきた僕なのに、状況は全く変わっていない自分が幸運な人間に思えてきた。そんな自分が可笑しくなり、ひとしきり大声を出して笑うと、決意が固まった。
まだ、遅くはない。
もう一度、お客様の心からの笑顔をみたい。
今までの非礼を詫び、一から出直す決意をメールに込め、昔の仲間に送信した。